前回の項では、モチベーションをいかに上げるかについて、心理学的な側面から、私の学んできた一端を御紹介させて頂きました。
前回の内容についての詳細は、サイトマップから確認してみて下さい。
最近、メンタリストDAIGO氏の「ポジティブ・チェンジ」という書籍を見る機会があり、「似たようなことが書いてあるなー」と思い手に取って読んでみたところ、「あれ、若干違うアプローチだな」と思いつつ、大変興味深かったので、しっかり最後まで読んでみました。
今回は、その紹介と私の感想も含めた内容になっています。
私も、メモする必要があったので、記事として残しました。
時間のある方は、興味本位でご覧下さい。
ポジティブ・チェンジの内容
「なりたい自分」になるためには、①頭も②根拠も③希望もいらない。
というフレーズで始まります。
自分を変えるためには、「あれこれ考えるということは無意味」で、行動こそが大事。
考えることは、「思い悩んだ末に行動をしないという結果に陥りやすい」ので、行動の足かせになる。
これら①②③は目的にこそ利用できるが、変わろうとする自分をためらわせたり、行動しないいいわけにつながるので、手段として活用するというものでした。
これらの考え方は、どこかで見たなと思ったら、彼自身もいっていますが、アドラー心理学の影響を受けていると自ら語っています。
「作業興奮の原理」を紹介し、手を動かすなどの作業をし始めると、脳内に期待のホルモンである「ドーパミン」が出て、鬱から解放され、やる気が出る。
つまり、行動することにより、「ドーパミン」が出て、「もっと良いことが起こるかも知れない」と期待し、「さらなる行動に駆り立てられる」というものでした。
アドラー心理学は、「使用の心理学」とも言われている通り、感情は都合に合わせて出し入れできる道具として考えているので、行動によって、感情をコントロールできることが、前提となっている展開です。
また、行動の邪魔になる、自分の弱点となるマイナス思考を排除するため、時間・言葉・友人・環境・外見・食事にまで配慮し、昨日までの自分とは、異なった行動を勧めています。
五感全てにおいて変化をつけることは、自分のパフォーマンスを変えることに繋がり、これら「環境を変えることで、自分を変えることに繋がる」と言っています。
特に、食事については、UCLAの研究チームの報告をとりあげ、「ジャンクフードが怠惰な行動習慣を促進させる」としており、根拠として血糖値の急上下をあげています。
最後に、自分を変えるための5日間のトレーニング法を紹介しており、興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか?
まとめ
自分を変えることは、本当にできるのか?
ということは、多くの人の関心事だと思います。
最近気になったことの一つに、性犯罪がものすごく増えたということです。
一般人はもとより、政治家や教育者、公務員、警察、医者などの犯罪を最近よく目にします。
痴漢や不信者からの性的なアプローチ、または、犯罪に規定されにくい怪しげな行動に至っては、日常、枚挙に暇がありません。
これらの性犯罪者は、一般的に再犯率が高いと言われています。
※全体的な犯罪者の再犯率が20.7%で、そのうち性犯罪事犯(いわゆるピンク事犯)は13.9%で、実に再犯者の70%にのぼります
※全国において性犯罪を含む事件で懲役刑の有罪判決を受け,平成20年7月1日から同21年6月30日までの間に裁判が確定した者1,791人を対象とした。ここで,本稿中,「性犯罪」とは,強姦,強制わいせつ,わいせつ目的略取誘拐,強盗強姦及び都道府県のいわゆる迷惑防止条例で禁止されている痴漢,盗撮等とし,「性犯罪者」とは,確定判決の罪名に性犯罪が含まれる者いう。
性犯罪者を除く再犯罪者には、低学歴、または能力的な社会不適合者も含まれており、「刑務所以外に自分の居場所を見いだせない」という人がかなりいますが、ピンク事犯の場合、高学歴の者もかなり含まれているそうです。
社会的な仕事においては、そん色なく熟せる人も多く、その中には一見優秀な人もいます。
そんな人にとって、刑務所はかなり屈辱的な場所であるはずですが、また舞い戻ってしまう人もいると聞きます。
刑務所では、一般の日常とはかなり異なった、規律重視の非日常的な生活が要求されます。
また、ピンク事犯に限っては、特別なプログラムも用意されており、入所者の多くがこのプログラムのもと、自身の罪を悔い、「二度と同じ失敗を繰り返さない」との反省の日々を送っているはずです。
しかし、ここで一般の人が自己実現のため、自身を変えるための日々の努力と、根本的なことが異なる部分があります。
それは、自らが望んでその行為を、行っているわけではないということです。
受刑者の中には、「今自分がここに居るのは、手段が悪かったためだ」とか、「環境が悪かったためだ」とか考えている者も少なくないと、ある前科者から聞いたことがあります。
一見、優等生的な日々の行いをしていても、心根までを変えるには、至らないということです。
一般的に多くの人が、その心に何らかの闇を抱えていても、理性が働いて、実際の行動に移すことはありません。
多くの受刑者も、そのことを学ぶだけです。
凡そ、法律を遵守するために、良心は必要ありません。
しかし、一部の心の闇が深い人は、理性を飛び越えてしまいます。
この人達にとって法を遵守することは、正に自分を変えるに等しい変革です。
社会で成功者と目されている人は、そのほとんどが自分を変えたわけではありません。
失敗を繰り返し、成功するための道筋を学んだだけです。
本当の意味で、自分を変えることなどできませんし、その必要もないでしょう。
世の経営者や為政者の性格は、千差万別、十人十色です。
どこかの会社の経営者などは、歩く生殖器と噂され、その人格は最低だと聞きます。
だけど、法は遵守しています。
かと思えば、実に素晴らしい行いと思想を持った、為政者や経営者もいます。
人間の価値は、社会的な地位や名誉では、図ることができないことを物語っています。
単に一般的な成功が欲しければ、そのために必要な行動あるのみで、自分を変える必要はありませんし、人格者である必要もありません。
ただ、その必要な行動ができないのであれば、その人自身が真の意味で、心からそれを望んでおらず、自分でそのことに気付いていないだけだと考えます。
無理な実践をして、具合が悪くなってしまっては、元も子もありません。
十人十色、桜梅桃李の人生で人と比べることなく、自分のままで花開くことが、一番幸せなことだと考えるのは、私だけでしょうか。
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